秋栄梨物語 (秋栄梨が誕生し、現在までの歩み)
育成者 林真二(元鳥取大学学長) 田辺賢二(鳥取大学農学部教授) 田村文雄(鳥取大学
農学部教授)
● TH-17の誕生
1979年より、鳥取大学農学部園芸学科において、田辺教授を中心としたメンバーにより、21世紀を担うべく
梨新品種開発がスタートした。鳥取県内で発見された、自家和合の性質をもつ「おさ二十世紀梨」を母体とした
梨に対し,その他品種との掛け合わせであった。
当時は大学院生であった田村学生(現 鳥取大学教授 育成者の一人)も受粉作業などを手伝った。多くの
新しい命が誕生した。2000分の1の確立で優良品種が発現する可能性があるが,それは全く保証のない賭け
でもある。
受粉より4〜5年の後、植えた苗木より初めて果実が成った。初成りの時より糖度、肉質に優れた樹が発見され
た。薄ぎたなく黒いような果実の甘さは、今までの経験した事のない甘さを持ち、今までの梨を超越し、食べた
誰もが感動を覚えた。それは、おさ二十世紀X幸水の実生苗に成った果実であった。
早く種苗登録を受けようとの声もあがった。そしてその梨に「TH-17」という番号がつけられた。
● 二十世紀梨(ゴールド二十世紀梨)との競争、邪魔者扱いのTH-17
少しの時が流れ、鳥取県内梨関係者の間に「TH-17」の噂が広まった。一部篤農家や研究機関に穂木が提供
され、現地調査も始まった。「TH-17」に期待を寄せる声も高まったが、果実に蜜症が出現することも心配され、
期待の声は大きなうねりにはならなかった。89年当時、鳥取では名産、二十世紀梨の長年の課題であり、時に
は壊滅的な被害を受ける黒班病に強い二十世紀梨の発見に盛り上がっていた。
90年にゴールド二十世紀、97年にはおさゴールドの出現である。鳥取県あげてゴールド二十の推進に乗り出し
た。黒班病と生産者高齢化のため、長期低落傾向の続く、鳥取梨の起死回生を図る最後のチャンスと捉えていた。
一方、TH-17に関心を寄せる人々は、消費者に何のメリットもないゴールド二十に疑問を持ち、美味しいTH-17で
の起死回生を夢み深く潜行して、来たる時に爆発する気概であった。ゴールド、ゴールドと言う鳥取県の環境下
では「TH-17」は邪魔者扱いであった。梨関係会議のなかでも「TH-17」の話題は出しづらく禁句の感さえあった。
特に、私達農家代表は自由に発言できるが、県職員や農協職員からTH-17について話題が提供されることは
先ずなかった。その中でも現地調査は拡大され、東京、大阪での流通関係者との試食会も開かれ、幸水、豊水
よりもワンランク上の梨との称賛をうける。早く出荷して欲しいとの声もあがった。
● 秋栄梨の誕生、そして栽培の断念
「TH-17」が97年に待望の種苗登録がなされ、「秋栄」と命名された。同時に満を持して相当数の苗木も植栽さ
れた。私の河原町でも一年目に700本の苗木が植えられ、鳥取県東部地区の半分の苗木は河原町に植えられ
た。しかし、登録に合わせたかのように、現地調査園の果実に多量の蜜症が発現した。翌年も大発生し、販売も
出来ない状況になった。以前称賛していた業者も手のひらを返すように去っていった。期待を寄せていた生産者
も引き、植栽されていた苗木は大部分がゴールド二十に変わった。あるいは秋栄梨を切るように圧力もあった。
それでも栽培を続行する者は、周囲から白い目で見られ、変り者のように見られた。
推進した人に、多かれ少なかれ非難が集まる。秋栄梨生産者は「まだ切ってないだろう?諦めずに頑張ろう」が
日常の挨拶となった。私の口癖は「秋栄がダメなら、梨作り止めるから」と言い、自らを鼓舞して来た。
田辺、田村先生に「頼む、何とかして」と生産者が要望する。しかし、秋栄梨は減り続け、県内でもある程度の
面積を有する人は、数人になった。私も偶然、林先生にお会いした時に秋栄梨の事をお聞きしたら「先ず10年
作ってみろ、考えるのはそれからだ」と言われた。
● 再評価、そして一条の光
蜜症発生以来、田辺、田村先生も蜜症軽減に向け、研究され少しづつ解明されつつある。秋栄梨の蜜症は
二十世紀梨や豊水の水梨とは原理の違う事も解ってきた。関係者をはじめ生産者からも色々な対応策が出て
来た。私も蜜症の無い樹の姿を見つけた。幸いな事に関係者の功が総じて、99年ごろより、蜜症の発生に
減少の傾向がみえだした。同時に消費者の認識も少しづつ高まり、東京などでも、日本梨最高の品質との評価
も高まり、高価格で取引されだした。02年の頃より県内の一部地域で再び秋栄梨の植え付けが始まった。
消費者にも、若千の蜜症の入った果実が一番美味しいとの評価も生まれだした。
秋栄梨の苦難の道はまだまだ続くが一条の光が見え出したというのが現在の状況である。
2002年6月 記
● その後の秋栄梨
その後、秋栄梨は鳥取県西部を中心に栽培が拡大されつつある。私の地域、東部はほとんど秋栄梨は増えず、
栽培している人は数人である。保守的な人が多く進歩性にかける土地柄のせいか?私が秋栄梨を販売する
には高都合ではあるが?
秋栄梨の蜜症に対して、5月頃からの新梢の摘心、あるいは誘引が有効だという事がわかってきた。
摘心も摘心後にまた芽が伸びだすので3回は切り取りが必要であり、多大な労力を要する。蜜症も言われている
程は、我が家では減少しない。現在気をつけていることは、摘心と収穫時の的確な判断が一番必要かと考える。
二十世紀梨のような大雑把な収穫方法では秋栄梨では通用しないと思われる。
蜜症は完全には解決できてはいないが、大玉の秋栄梨を作る技術は会得した?07年には、鳥取県の開発した、
高糖度の赤梨(仮称 新甘泉)も登録される予定であり、一部期間は秋栄と競合する。多いに争ったら良いと思う。
新甘泉も素晴らしいが、秋栄も全く劣らないと思う。むしろ秋栄梨の方が良いと私は思うが、そこでは住み分けが
可能で秋栄、新甘泉ともに、消費者の皆さんの支持が得られ称賛される日は近いと期待している。
2007年11月 記